mygunnerさんがTwitterにて、ジャカと父親についての記事を翻訳してくださっていました。シャカの人となりがわかるような素敵な記事なので、ここに転載させていただきます。
(転載元 @mygunner)
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ジャカと親父の物語
これはジャカの内なる怒りに火を注ぐ彼を形作った物語だ。詳細はわからないが残酷で、彼自身が明確に語れるのが不思議なほどだ。そしてユーゴスラビアで3年半政治犯として収容されていた彼の父Regipと同様、ジャカ自身も逃げも隠れもしない。(ガーディアン)
— mygunner (@mygunner98) 2017年12月1日
「知る限りでは監獄での始めの数ヶ月は問題なかった。それから拷問が始まったんだ。」ジャカ父の罪状はベオグラードで共産党政府への反対デモに参加したことだった。1986年、ジャカ父が22歳のコソボのプリスティナ大学の学生の時だった。逮捕され6年間の服役を言い渡される。(ガーディアン)
— mygunner (@mygunner98) 2017年12月1日
ジャカ父は5人部屋で部屋の外に出られるのは1日10分間だけだった。「この話には息子として本当に心の奥底から影響を受けてる。父をきちんと語るにはこの話をしっかり理解する必要がある。すごく痛ましい。時々父に『もっと話して』と言うけど、彼は全てを話してないと思う。」(ガーディアン)
— mygunner (@mygunner98) 2017年12月1日
ジャカ: いつも沈黙の時がある。それは彼が事実を呑み込んで吐き出してないんだと思う。多分あまりにも重すぎて子供たちに悲しみ全てを味わわせないようにしたいんだろう。(ガーディアン)
— mygunner (@mygunner98) 2017年12月1日
ジャカ: 彼は誇り高きコソボ人で生存権を信じていた。その権利のために戦ったんだ。民主主義のための基本的権利で、例えば投票権を得るための必要条件だ。彼以外にも逮捕された。彼よりも前に数年間投獄されてた彼の叔父も逮捕されて15年の服役になった。全部政治的な意図だ。(ガーディアン)
— mygunner (@mygunner98) 2017年12月1日
ジャカを理解することは彼の家族を理解することになる。どのような苦労を味わい、どうやって団結して、苦難を乗り越えるために戦い続けるのか。ジャカの行動規範は忠義とリスペクトだ。なんでも、誰でも、彼は全身全霊でコミットする。彼の父や母のEliのように。(ガーディアン)
— mygunner (@mygunner98) 2017年12月1日
ジャカ:両親の話では父が捕まる前に二人はたった3ヶ月しか一緒にいられなかったという。母を信じられないくらい尊敬してる。若くしてたった3ヶ月しか一緒にいなかった人を3年半も待ち続けた女性を自分は他に知らない。母は本当にすごい人なんだ。(ガーディアン)
— mygunner (@mygunner98) 2017年12月1日
ジャカ: 父がなぜ短期で釈放されたのか誰も知らないんだ。大叔父と一緒に釈放された。玄関に二人が現れるまで家族も知らなかったんだ。監獄の規則に従って口を噤んで一切話さない、トラブルを起こさないという誓約を交わしたんじゃないかと思ってる。本当のところはわからないけど。(ガーディアン)
— mygunner (@mygunner98) 2017年12月1日
ジャカの両親は新しいスタートを切るべく90年にスイスに移住した。91年にバーゼルで長男のタウラントが生まれ、18ヶ月後にグラニトが生まれた。タウラントはバーゼルの中盤のキープレーヤーだ。「父は信じられない強さを持ってて兄も自分もそれを引き継いでる。」(ガーディアン)
— mygunner (@mygunner98) 2017年12月1日
ジャカ: 父が憧れでロールモデルで、何かを為し遂げるために強くなければいけないと彼が教えてくれた。だから二人とも強くなったよ。(ガーディアン)
— mygunner (@mygunner98) 2017年12月1日
ジャカはスイスでの全てに恩がある。だが自身のアルバニア-コソボのルーツも忘れられないし忘れないだろうと考える。ロンドンでもそれは変わらない。カムデンタウンでの撮影の間、通りすがりのアルバニア人がジャカを見つけて危うく用水路に落ちそうになっていた。(ガーディアン)
— mygunner (@mygunner98) 2017年12月1日
彼はジャカが彼をアルバニア人だと認識したことで興奮していた。「英国にもアルバニア人のいい人たちがいる。洗車業の人もいて自分の車も洗ってもらった。話題は当然サッカーだ。リバプールファンもユナイテッドファンもいるし、たくさんのアーセナルファンもいる。」(ガーディアン)
— mygunner (@mygunner98) 2017年12月1日
ジャカは夫人とともにバーネットに住むが、多様な人が集まるカムデンに第二の故郷を見つけた。毎週何度かそこに足を運び、マーケットを見て買い物をして、食事をして楽しむ。「カムデンでは自分の子どもの頃を思い出す。」(ガーディアン)
— mygunner (@mygunner98) 2017年12月1日
ジャカ: 子どもの頃、祖父母に会いに兄とバーゼルからプリスティナまで初めてバスで行ったんだ。両親はチケット代のためにフルタイムの仕事に加えて清掃員として夜も働いてくれた。バスはあちこちに止まってこういうマーケットを見たんだ。カムデンでそれを思い出す。(ガーディアン)
— mygunner (@mygunner98) 2017年12月1日
ジャカ: 自分は単純で日常が好きだし普通の人、普通の食べ物が好きだ。そういう風に育った。カムデンにはそういう雰囲気がある。自分も皆も普通の人として関われる。誰もアーセナルの選手がカムデンロックに来るとは思ってないだろうし、こんなに凡人だとも思わないだろうけど。(ガーディアン)
— mygunner (@mygunner98) 2017年12月1日
ナイジェリア生まれのロンドン子でアーセナルサポのチャールズがジャカを呼び止め、あまり友好的でない感じで話し始めた。「あんたはいい選手だけど、あんたの前にはもっと上手い選手が必要だ。チェルシーのアザールみたいな。サンチェスなんかよりね。」(ガーディアン)
— mygunner (@mygunner98) 2017年12月1日
英語はジャカにとってはアルバニア語、ドイツ語、フランス語に次ぐ第4言語で、チャールズが言ったことの全てをジャカは理解できない。後で確認していたが、彼の意見には興味を持ったようだ。誰もが批評家になるが、今はアーセナルへの批判が多いことはわかっている。(ガーディアン)
— mygunner (@mygunner98) 2017年12月1日
ジャカ: 昨季CLを逃して批判されるのは仕方がない。通常は、特に自分は、批判されると強くなる。だが選手の中には批判がためにならない人もいる。個人的には自分は対応できる。父はわざと自分達を褒めたことがないから浮つくことがなかった。(ガーディアン)
— mygunner (@mygunner98) 2017年12月1日
「アーセナルの場合、全部些細なことだ。大きな問題があったわけじゃない。チェルシー戦後はここからやっていけると思った。でもワトフォードに2-1で負けてから自分達を疑い始めてしまった。」あの試合、ジャカが集中を切らして相手の決勝点を許したと批判された。(ガーディアン)
— mygunner (@mygunner98) 2017年12月1日
ジャカは負けを嫌う。負けると自己嫌悪に陥る。夫人によれば負けた日は試合後1時間は話しかけられないという。「落ち着けない。負けると自責にかられる。自省しないでチームメイトを責めるなんてありえない。子どもの頃からそうなんだ。」(ガーディアン)
— mygunner (@mygunner98) 2017年12月1日
ジャカ: 自分にプレッシャーをかけ過ぎかもしれない。大人になる程酷くなる。若い時は今ほど負けを考えたことはなかった。(ガーディアン)
— mygunner (@mygunner98) 2017年12月1日
加入以来、ジャカの評価は二分している。彼の支持者は彼の試合の読みやパスレンジ、視野を賞賛する。昨季PLでジャカ以上のパス成功率のMFはいなかった。今季もOptaでは現在3位だ。5月のFA杯決勝では素晴らしく彼がチームにはまると何が起こせるかを証明した。(ガーディアン)
— mygunner (@mygunner98) 2017年12月1日
一方で酷いタックルや守備のミスで批判もされる。昨季はスワンジー戦とバーンリー戦で退場となった。「バーンリー戦の判定は受け入れる。でもスワンジーは納得いかない。怒るよりも驚いたよ。ずっとPLを見てきたけど、現在笛を吹かれるファールは、昔はファールじゃなかったと思う。」(ガーディアン)
— mygunner (@mygunner98) 2017年12月1日
ジャカは壊し屋の6番というよりはボール遣いの8番だがそれも時にごちゃ混ぜになる。彼の熱くなりがちな性格もあるしアーセナルが守備的MFを切望していることもある。ジャカは彼ができないことで嘆かれるのではなく彼の特性を認められる必要がある。(ガーディアン)
— mygunner (@mygunner98) 2017年12月1日
ジャカ: 自分は偽10番と言えるかも。もしくはずっと後ろでプレーする10番。自分には2面性があると思う。自信を持ってるスキルもあるけどファイターとしても尽くすよ。(ガーディアン)
— mygunner (@mygunner98) 2017年12月1日
北アイルランドとのプレーオフを制して決めたW杯出場をジャカは楽しみにしている。スイスが得た怪しいPKの判定が話題になり出場決定の喜びに陰りをもたらした。「関係ないよ。2試合通じてスイスの方がずっとよかった。あれはPKじゃないけど他にも十分なチャンスを作ってた。」(ガーディアン)
— mygunner (@mygunner98) 2017年12月1日
「代表選前にシティと試合した時、彼らのゴールはオフサイドだったけど誰もあんな風に騒がなかった。あれは間違いだけど受け入れないといけない。」スパーズ戦については「誰に言われなくてもやる気は十分だ。一大試合で勝利必至だ。綺麗なサッカーじゃなくとにかく勝つことだ。」(ガーディアン)
— mygunner (@mygunner98) 2017年12月1日
訳注: 本記事はノースロンドンダービー直前のものです。
— mygunner (@mygunner98) 2017年12月1日
最後の訳注にもあるようにこの記事はノーロン直前の記事ですが、これがユナイテッド戦までだとしても、ハダーズ戦だとしても読める素晴らしい記事です。
記事内にもあるように、シャカの両親はコソボ系アルバニア人です。旧ユーゴ紛争については、1999年ピクシーの「NATO STOP STRIKES」というアンダーシャツでの空爆への抗議や、2006年イビチャ・オシムが日本代表監督として招聘された際学んだ方も多いと思いますが、自分がこの紛争を知ったきっかけは1993年のK-1でした。
それはチャンプア、佐竹、あのホーストさえも全て一撃でKOし、38歳で初代王者となったクロアチア出身、ブランコ・シカティックの一言。
「自分は戦場を生き抜いてきた。リングでの闘いなど容易いことだ」
このような言葉だったと思います。
戦場?この時代に?
93年、ネットもない時代。しかも戦争といえば、『第一次・第二次世界大戦』、ぎり『イラン・イラク戦争』くらいしか知らなかった平和ボケのFラン大出身の自分にとって、この言葉はあまりピンと来ませんでした。
「どうやらクロアチアでは、独立をかけた内戦があるらしい」という事を、この時初めて知ったのです。そしてそれはどうやらクロアチアだけの問題ではない、ユーゴスラビアにおける民族紛争なのだということも。(未だに何もわかっちゃいないけど…)
しかし、独立のために戦う、突如隣人と殺し合いになる、爆弾が空から降ってくる…そんな我々には到底想像も出来ない戦場を生き抜いてきたシカティックの言葉と、シャカの発言、「アーセナルの場合、全部些細なことだ。」が妙にシンクロしてしまうのです。
だからこそ、インタビューの最中、「オマエなんていらねーんだよなー」と言っちゃうロンドナーの言葉なんて、彼の父の言葉に比べたらほんとに些細なことなのだろうし、「むしろ興味が沸く」という感情も生まれてしまうのだろうと。
文脈的にそのような意味で言ったことではないかもしれませんが、シャカの場合、心から国や家族を背負う覚悟でピッチに立っているいるように思えてならないというか。
絶対負けないために。
シカティックは内戦中K-1で優勝し、クロアチアの勇気となりました。
いつかアーセナルが優勝することで、アルバニア、そしてコソボの旗が掲げられる日が来ることを願って。
P.S
「アーセナルは多国籍軍」と言われて久しい昨今ですが、
ムスタヒもドイツ出身のマケドニア系アルバニア人であり、親方も旧ユーゴのボスニア・ヘルツェゴビナをルーツに持つ選手です。
やっぱ、アーセナルっていいなあって思うよ。
シャカのタツー記事です。
「アーセナル・タツー」グラニト・ジャカの場合
コメント
自分がユーゴ紛争を知ったのはオシム監督からでした。
猿さんと同じく「戦争?現代に?」という印象が最初だったと記憶してます。
ジャカの強さがよく分かるいい記事ですね!
何か似てる写真のクラッシャー3人(笑)
赤い三連星?破壊三連星?
がんばれジャカ!
今季も応援してます!
ガナーズとしてもですが、W杯スイス代表としての戦いっぷりもより楽しみになりました!
ジャカの人となりが分かる記事ですね。
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