ボリスタ様へのアンサーブログです。
とどけ、この想い!
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ボリスタ様で珍事発生!
先日ボリスタ様ウェブサイトの名物企画・編集長対談「喫茶店バル・フットボリスタ ~店主とゲストの蹴球談議~」冒頭にて、なんとわたくし「さる」の名前が出されちゃうという、MMR出動並みの珍事が発生しました。
まずは早速、その模様をご覧ください。
喫茶店バル・フットボリスタ ~店主とゲストの蹴球談議~
今回のお題:月刊フットボリスタ18年11月号
『ポジショナルプレーvsストーミング 欧州サッカー2大戦術潮流の最前線』
店主 :浅野賀一(フットボリスタ編集長)
ゲスト:川端暁彦■細分化する興味、深化するマニア
今号のテーマは『ポジショナルプレーvsストーミング』という欧州の戦術2大潮流を追うみたいな内容でしたが、中でもさる☆グーナー @saru_gooner さんによるアーセナル記事が一番面白かったですね」
さる「!?」
浅野「そこからきましたか(笑)。俺もさるさんの記事は毎回好きだよ。ただ、さるさんみたいな視点でサッカーを楽しむ人が今回のフットボリスタをどう読んでくれるのだろうと不安になりますね」
さる「!?!?俺の記事なんて読んでる人いたんや…(真顔)」
川端「僕もそこが知りたくてTwitterも確認したんですが、特に何も触れてないですね(笑)」
浅野「そこは忖度してくれたのか……あ、いや、そもそもロンドン在住だからまだ届いていない(笑)」
さる「はい!届いてませんでした!」
・・・
川端「近年『興味が細分化している』というのはいろいろな趣味・娯楽の世界で言われることですが、サッカーもその例に漏れないですよね。本当にいろいろなファンがいて、サッカー人もいて、いろいろな考え方や楽しみ方、あるいは生き方が存在するようになっている。その辺りについていろんなことを考えていました。戦術マニア色の強い今号の特集を読み耽ってから出てくる雑誌の終わりの方に、さる☆グーナーさんの記事が置かれていた……のは、単なる偶然でしょうけれど(笑)、でもそうした多様性をあらためて意識させられました」
浅野「WEBで無料のサッカー記事がいくらでも読める時代にあって、サッカー専門誌は中途半端な記事を出してもしょうがない。その細分化している興味のどこか1点をコアに掘り下げていくしかないのだけれど、そうすると細分化している他のファン層の排除に繋がりかねないのが難しいところだよね。こういう戦術マニア向けの超弩級コアの特集を作る時、『さるさんはどう思うのかな』というのは、実は毎回頭の片隅にありました」
川端「意外に楽しく読むのかもしれないし、7文字くらいで挫折するのかもしれない(笑)。でも中途半端なモノを出すべきでないというのは同意ですね。細分化しているからこそ、読者はより『深さ』を求めていると思うし。浅いものはネット上に腐るほどあるわけだし」
(一部抜粋)
いやいやいや…
いやいやいやいや…
タイトルが『ポジショナルプレーvsストーミング 欧州サッカー2大戦術潮流の最前線』で、対談内容が今月号のテーマでもある「戦術」に関する事でしたので、明らかにその場にふさわしくない、山本コータローがジーパン姿で結婚式や葬儀に出席するような、TPO的にボリスタ様読者の皆さまには糾弾されても致し方ないあれ。
そんなリスクを顧みず、自分の名前を出してくださった(ネタとして扱ってくださった)川端さん、ならびに編集長にはこの場を借りて御礼申し上げ奉ります。
あざっす!(最大級の土下座)
ちなみに、その対談記事はこちらです。
(さすがボリスタ様大盤振る舞い!無料で読めるよ!)
【バル・フットボリスタ】ポジショナルプレーとストーミング。最後に問われるのは「好き」の感情(浅野賀一 footballista編集長 × 川端暁彦 @gorou_chang)https://t.co/tNDqLNrnNs
――ポジショナルプレーやストーミングは概念であって、そもそも目の前の試合にどう勝つかという戦術ではないんです— footballista (@footballista_jp) 2018年10月18日
この中で、
「さるはフットボリスタ今月号を意外に楽しく読んだのか、7文字くらいで挫折したのか?」
というご質問があったので、この記事をアンサーブログとして投下させて頂きます。
フットボリスタ様11月号をさるは7文字以上読めたのか?
まず結論から申しあげますと、
700文字は挫折せず読ませていただきました。
いや、700文字いうたらね、予想の100倍ですからね、相当読んだ方ですよ!
という冗談はさておき、
全て愉しく読ませていただきました!(頭掻きむしりながら)
『Match of the Day』(BBCのプレミアのダイジェスト番組)で、いっちゃん最初にアーセナルがこないと途中で爆睡してしまう俺です、いかに興味津々だったかがご理解いただけると思います。
いや実はですね、意外だとは思いますが、俺こうみえて戦術にはめちゃめちゃ興味はあるんスよ。
杉山茂樹大先生の戦術書「4-2-3-1」はマジ俺のバイブルだし(異論は認めん!)、
ヴェンゲル後期の戦術は時代遅れだってこともなんとなく把握してたり!(えっへん)
とにかく興味だけはすげえあるんスよ!
「戦術」に興味がある、その理由
自分は無類の将棋好き、格闘技好き、漫画好きでもあります。そしてこれら全てが、実にフットボール的な競技でもあるのです。
モウさんのように、選手を”駒”に例えるとするならば、魔法使いエジルは縦横無尽な成飛車で、瀬尾君は一切戻らない(戻れない)香車であり、穴熊はゴール前にがっつりバスを止める戦術。
監督の采配は、一手先二手先、否100手先の読み合い。そしてそこに見え隠れするのは、王将(ゴール)を獲るまでの詰将棋という名の心理戦。
そして格闘技。打撃系でいえば、コンビネーションがパスであり、最終打撃ポイントがゴール。KO(ゴール)を狙う為、いかにフェントを入れ正確に強烈な打撃を叩き込むか。
先日の那須川天心と堀口恭二の一戦なんかまさにこれで、空気を斬り合うがごとく、両者偽サイドバックを出しまくり、あえてケイオスを作りだしゴールを狙い合う、究極の心理戦でした。
寝技系なんかも、あえて自らが下になった状態(ガードポジション)で相手をおびき出して三角を決めるとか究極のカウンターサッカーだし、マウントからの腕ひしぎ逆十字(相手を押さえつけてゴールを決める)なんざ、まるでポゼッションサッカーではありませぬか。
ヴォルクハンのケイオスに歓喜し、ボブサップ戦におけるノゲイラのジャイアントキリングに涙した格闘者にとっては、彼らの戦いはまるで「肉体戦術」。
さらに、ロシアワールドカップ「ドイツ v メキシコ」のヨアヒム・レーヴさんとオソリオさんの名将対決なんかはガチ痺れましたよね。
あれ完全に両監督の脳内の具現化。
そう、お互いのスタンドを駆使した戦い!ジョジョですよジョジョ!
と、このように、
戦術とは俺にとっての果てなきロマン!
大好物の部類なのであります。(もう一度言うが、こう見えて)
だがいかんせんわからない!!!
以上の観点からも、今回のボリスタ様の「戦術本」のような「活字化」は大変ありがたいし、とても勉強にはなるわけです。
格闘技なんかも、那須川戦で、試合中堀口は何故笑っていたのか?とか、ノゲイラは何故ガードポジションになるのか?みたいなことを解説してもらえるとすげえ楽しめるのと一緒で。
とはいえ、20年前の「ボールが頭上を越えていく by 中田英寿」のようなプレミア時代からアプデされていない自分にとっては、現代フットボールは難解すぎて、まるで哲学。
哲学なんて、この世にあってないようなもんですからね、俺みたいな筋脳には理解するのは難しい。
とにかくこの難解さ、まるで「コウメ太夫の#まいにちチクショー」ですマジで。
もうわけわかんない。
だからこそ、その奥底にある哲学を知りたい。そう思うのがサブカル人間の性!
ちなみに、難解すぎる「コウメ太夫の#まいにちチクショー」ですが、これを哲学してくださる神がいらっしゃいますので、ほんの一部ですがこちらをご覧ください。
ダーウィンに影響を受けたスペンサーが提唱した「適者生存」の概念を援用した一作。スペンサーは、生物個体が「生存闘争」を行うとし、そこに進化の原動力を見た。わかめ研究家でもある小梅氏は、「わかめは、他のわかめを“喰らう”」と比喩的に述べ、わかめの生存競争を見事に描き出したのだ。傑作。
— 哲学者コウ・メダユー (@koume_philo) 2018年7月23日
太陽に水をかける。その行為に果たして意味はあるのだろうか。こうして、人生の行為に“意味”を見出そうとしていくと、日々の行為もまた無意味に思えてくるではないか。『シーシュポスの神話』にて人生の“不条理”を描いた哲学者カミュの影響を受けた小梅氏は、人生の無意味さを受け入れよと説いたのだ。
— 哲学者コウ・メダユー (@koume_philo) 2018年8月15日
フーコーは、近代以降、医学が目前の個人を病気の苦悩から解放するのではなく、「死ぬ病人」を統計的に減らすことを目的としているのだと分析した。W杯を麻酔代わりに視聴させられた小梅氏は、麻酔の経費を削減する医師を畜生!と非難し、改めてフーコーの述べる生命政治の構造を明らかにしたのだ。
— 哲学者コウ・メダユー (@koume_philo) 2018年6月16日
ユクスキュルは、時間や空間は動物主体により、主観的に知覚されているとし、相対的な時間空間論である環世界論を唱えた。確かに、客観的には、全ての生物は同じ時間を生きるが、その「長さ」の知覚はそれぞれであろう。24時間を30秒の長さとして知覚した小梅氏は、環世界論を実証してみせたのだ。
— 哲学者コウ・メダユー (@koume_philo) 2018年6月10日
畜生は人間以外の生物を指すが、小梅氏は温かい飲物に対し「畜生い」と述べている。そもそも生物であるとは如何なる事か。ハイデガーの影響を強く受けた小梅氏は、「死に向かう事」こそ、畜生の要件と述べる。温かな飲物が、いずれ冷め、“死ぬ”事に畜生性(生物性)を見出し、その無常性を嘆いたのだ。
— 哲学者コウ・メダユー (@koume_philo) 2018年3月7日
「私」が少しずつ消えると述べるこの一文から、悲痛な叫びが聞いて取れるだろうか。実は、小梅氏はエリクソンの述べる「同一性拡散」の渦中にあるのだ。「自分が何者なのか」という最も基本的なアイデンティティを、なんと皆既月食と共に拡散させ、「私」を失い始めた小梅氏、涙の畜生。
— 哲学者コウ・メダユー (@koume_philo) 2018年2月22日
バウマンは現代社会を「液状化社会」とし、その流動性と不安定さを指摘した。さて、この「液状化社会」の前提として「個人のアトム化」が挙げられるが、小梅氏はこの点を強調し、現代を液状ではなく、「粉状」化社会だと述べる。小梅氏は、個人が容易に吹き飛んでしまう現代社会の脆さを描いたのだ。
— 哲学者コウ・メダユー (@koume_philo) 2018年9月14日
「コウメ太夫の#まいにちチクショー」にこれほどまで無限の可能性が隠されていたとは…これを見るまで一切気づきませんでした。。。
と、このように、現在のフットボールの戦術にも同様のことが言えるような気がするのです。
あえて言おう、「戦術とは毎日チクショーである!」と。
一見同じ球蹴りでも、その裏には無限の哲学が拡がり、そしてそれを言語化してくれる神々がいる。。。
それこそがフットボリスタ様であり、戦術マスターである執筆陣の方々なのです。
そんなわけで、これらの哲学を言語化してくださる先生たちには頭があがりませんし、一度でいいから、エミレーツとかで観戦しながら、ラムZの難解な動きについてレクチャーしていただきたいものなのです。
以上のように猿が「戦術」に関してどれほど興味があるのかを切々と書かせていただきましたが、
ご安心ください。
俺のスタンスは一切変わりません。
今後も、わからないことは描きません。
大丈夫!俺が謎に戦術とか語り始めたら、この世の終わりであることは自負しております。
例えば、日本サッカー界に一切忖度なしのサッカーメディア・フットボリスタ様が白虎の方角だとすれば俺は青龍の方角、フットボリスタ様が極左だとすれば俺は極右(思想の強い人、誤解なきようにな!あくまで方向性の例だぞ、例!)、以上のように、徹底的に真逆に振り切れたブログを書いて参る所存ですので、何卒よろしくお願いいたします。
そして、そういう意味でも、俺はボリスタ様リスペクトなのです。
最後に。
戦術が哲学化、複雑怪奇化していく中、でも結局それを実践するのは選手達。
モウさんを見ればわかるように、最終的に必要なことって、監督の人徳だったり人間力だったりするんだろうなぁっていうのがあって、選手をまとめるのに、どのようなケアやマネジメントをしているのかっていうのも、戦術同様ものすごく興味があるんですよねぇ。
昔なら、全員整列させて、涙流しながらぶん殴れば強くなったはずなんだけど、現代フットボールではどのようなことが行われているのか…。
「現代サッカー監督のマネジメント術」
モウリーニョは何故選手にストライキをおこされるのか?
ボリスタ様、何卒よろしくお願いいたします!
川端先生とボリスタ編集長様に誉め殺しされちゃった記事はこちら♪(へてぺろ)
【NEW】妄想爆発!"ボスイズム"あふれるロマン派 #アーセナル イレブン(文 さる☆グーナー @saru_gooner) https://t.co/UBFipBUGjO
ビエラの堅守で相手の息の根を止め、ディアビーのヌルドリで前線に速攻をかけるという、グーナー誰もが夢見た感涙必至のツープラトン。みなさんハンカチのご用意を #wccf— footballista (@footballista_jp) 2018年10月12日
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このブログを見ていないであろう戦術オタの人必見のボリスタ様11月号、マジおすすめだよ!(説得力ZEROは自覚)
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