以前アーセナルに在籍し、現在はドイツ・ザンクトパウリで再起をかける宮市君の、心晴れやかなるインタビューです。
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地獄を見た男、宮市亮 今を語る
日刊スポーツのインタビュー。
地獄を見た宮市君が、眩しいバカリに輝いていました。
「今は楽しい?」の問いに、「ようやくサッカー選手になった」と応える宮市君。
高校卒業と同時に渡英。Jも進学も挟まずストレートでアーセナル入り。オランダ武者修行時代、爆発的な突破力であっという間に相手を抜き去るその姿に「早くプレミア帰って来い!」と胸踊ったものです。
実際あのブチ抜きは通用したんですよね。みんなも覚えてると思うけど、ボルトン時代のチェルシー戦。
サイドからイバノビッチをぶち抜いた例のアレ。
これだよこれ!
彼の武器はこれなんだってば!!
でも、以前本人も言っていたけど、
いつしか、競争相手が憧れに変わってしまい…。
それからというもの、最大の武器だった爆速はなりを潜め、“普通のサッカー選手”になってしまった俺たちのRIO…。
当時を振り返るこの言葉が全て。
「アーセナルに行って、自分の持ち味だったスピードが長所と思えなくなった。今思えば、速いし、できていたんですけど。その当時は、全くまわりが見えていなかった。まわりがうますぎて、自分なんて全然だめなんじゃないかと自信を失っていた。エジルのパスがいい、あんなパスを出せたら、もう足なんて速くなくてもいい。もうエジルになろうかと思った時もありました。自分が見えなくなった。隣の芝は青く見えるじゃないですけど、自分にないものを求めすぎて、自分を見失ってましたね、当時は」
でも想像してください。
最近まで、サッカー雑誌の付録のポスターを部屋に飾っていたような高校生が、そのスーパースター達と共に練習しプレーする。
もし俺なら、夢の中をさまよい歩く夢遊病者のように地に足がつかないだろうし、なにより、あっという間に心折れるよね…。
でも、あの時魅せてくれたイオナズンのような一瞬の輝き、そして爆速に沸くエミレーツに轟いた「RIOチャント」を俺は今も忘れられないのですよ…。
生まれ変わっても…
“普通のサッカー選手”として、志半ばでアーセナルを去った宮市君。
でも高卒ルーキーだった彼の入団を、当時の俺は手放しで喜んでたんすよね…。
入団当時の記事。
クビになっても本人にしたら1000%悔いはないだろうし、一度でも海外のクラブのシャツに袖を通したこの経験、500万払ったって絶対に買う事が出来ないこの貴重な経験は絶対糧になるはずなんですよぉ!!!
なんてことを言ってたんだけど、こうなってみると、やっぱどこかで、無責任だったなぁとか、ぶっちゃけJとかドイツやオランダから初めても良かったのかもなぁ…なんて思ったりね。
その後も、プレミア、特にビッグクラブから声がかかる日本人選手に対しては、なんとなく先が見えてしまい、「やめとけ」なんて思うようにもなったり。
でもこのインタビュー後半での宮市君への質問。
「今、18歳だとして、アーセナルから話が来たら?」
に対する回答が、
「行きます」
と、即答だったときには、もうね…。
俺も猛省だ…。
「プロとして大事なもの、こういうメンタリティーでいてはいけないんだというものを若くして感じられたことが、今に生きている。もう自分を確立しました。リハビリの期間中、生きていく道はここしかないんだ、スピードを高めていくだけだと確認できた。アーセナルの時は速いといっても、ただ、親からいただいた天性のものを発揮する、それだけ。それでけがをした。今はけがをしない走り方、速く、力強く、自分の武器を感覚的ではなく、研ぎ澄ませて、考えられるようになった。自分の武器をさらに明確にできるようになりました」
「人生、七転び八起き、そして今の自分がある」なんてこと、20代の俺には全くわかんなかった。
それに気づけた君にはまだまだ可能性がある。
「日本代表でW杯を戦うために海外に来た」と力強く語る、宮市亮若干26歳。
もう一度、あの衝撃を魅せつけてくれる日を、俺は待ってる。
そして、宮市君、ありがとう。
コメント
あのブチ抜きは凄かったです。人間的に強くて立派ですね。代表で待ってるぞ!
さるさんにまた泣かされた…
宮市君、応援してるよ!