「アウェイ・ドロー5連発は1948年以来の歴史的快挙!」というお話をさせていただいたところ、「4位目指してるクラブが、お前それおかしいんじゃね?」というご意見をいただきました。
この前の記事で「愉しみ方は人それぞれ」のお話をさせていただきましたが、良い機会なので、私の宗教観を語ってみたいと思います。
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アーセナルというカルト教団に入信した私の宗教観について
「愉しみ方は人それぞれ」の記事はこちら
アーセナルへの信心につきましては、事あるごとに語らせていただいてはおりますが、ご存知のない方もいらっさると思いますので、これからも定期でサブリミナル的に差し込んで参りたいと思います。
それはさておき、先日「アーセナル以外の趣味は?」という質問をいただきました。(下記動画参照)
その時も「アーセナルは趣味ではございません。人生です」というアンサーをさせていただいたのですが、ご存知のように私が人生を捧げたのは「アーセナル」という名のカルト教団です。
ところで、宗教とはなんでしょうか?ググってみました。
宗教とは
神や仏といった超自然的な存在に対しての信仰や、それにかかわる営みを指す言葉。
神仏の教えを信じることで、安らぎを得たいとする心の働き。
アーセナルという名の超自然的存在。
親に帰ってこいと言われてもそれを頑なに拒み、毎週末、赤いサマナ服に身を包み、スタジアムという名の教会で行われるミサに通い、チャントという名の聖歌を血眼で歌う。
家では、洗脳ビデオの流れるモニターに一日中かじりつき「修行するぞ修行するぞ修行するぞ…」とぶつぶつ唱えながら、日々ブログとYouTubeで布教活動を行う…
これに関して、もし宗教に代わる言葉がございましたら是非ご教示ください。
宗教とは何か?
「神仏の教えを信じることで、安らぎを得たいとする心の働き。」
これに関しては、「この状況で、いったいどこに安らぎを得ることが出来るというのか!?」という疑念を抱いておられる方も多数いらっしゃることと存じます。
しかし宗教とは、何かを与えてもらうため、見返りを求めるために信じるものではありません。
「そこに存在しているだけで、心が平安になり、毎日が充実するためのもの」なのです。
よって、私から教団に何かを求めるということは一切ありません。
先ほど申し上げた通り、私にとってのアーセナルとは「そこにあるだけでいい」という存在であり、4位だろうが、10位だろうが、最下位であろうが、はては2部や3部とテーブルが変わろうとも、この愛は普遍なのです。
今起きている出来事は全て「点」であり、この点と点が繋がった先にこそ、来るべき明るい未来が存在する。故に私は現状を最大限心から愉しみ、今を生きているのです。
しかし、これは決して、順位や強いチームにこだわる方を否定しているわけではありません。
宗教とはいえ、この世にクラブとして存在している限り優勝はすべきであり、順位も上位でなければ信者も離れていくやもしれません。
であれば、強いアーセナルでなくてはならない。
これは絶対的真理ですし、皆さんのおっしゃる通りです。
というか、私もそうでしたからわかります。昔のブログなんか読んでもらえれば、ボロクソいうてるやつあるような気がします。
むしろそれが健全な楽しみ方であると思います。
しかし私は、そんな思いを抱くことが無意味であるとさえ思うほど骨抜きにされ、洗脳されてしまっているのです。
ありがとうございますありがとうございます。
以上のことから、
「愉しみ方は人それぞれ」
というお話をさせていただいたわけです。
もう一度言います。
この記事は、決して私以外の人間を否定するものではありません。
「みんな違って、みんないい」の世界が理想です。
ていうかむしろ、こっち側の人間が増えたらやばい世界線に入っていくに違いないので、このままの状況が望ましいと思っております。
今回は、単純にこのブログの立ち位置、そして私の宗教観について述べさせていただいているだけであります。
隙間を覗きみる愉しさ
私はプロレス者なので、妄想が好きです。大好きです。
プロレスとは何か?
しっかりとしたストーリーラインがあり、そのラインに沿って物語が進み、ファイナルでカタルシスを迎える。
今でこそそんな競技体系であると思う方が大半だと思いますが、私が子供の頃観ていたプロレスというものはそんな単純なものではありませんでした。
ストーリーラインはその場その場の人間関係やらなんやらで雑に構築され、憎みあってる者同士の抗争を仕掛け、必要以上にヒートアップさせてその場の熱量を上げていくってやつで、当然そこにはアクシデントは付き物で、約束事なんかないに等しいってやつ。
だってマジで嫌いあってんだもの。
だから、猪木が舌出して失神した時は、小学生ながら本気で心配して飯も喉が通らなかったし、前田とアンドレの怪しげなビデオなんか見たら卒倒しそうになりました。
ちなみに、こんな言葉があります。
「プロレスは、底が丸見えの底無し沼」
これは『活字プロレス』の始祖であり、『週刊ファイト』初代名物編集長である井上義啓氏が評した名言ですが、プロレスとは、まさに虚と実が入り混じったケイオスな世界であり、そういう得体の知れないディープな世界を経験してきたからこそ、今もこの洗脳空間を悠々と愉しめているのだと、そのように思うわけです。
そして今回のバーンリー戦も結果だけ見れば「0-0」という塩試合ですが、「アウェイ・ドロー5連発は1948年以来」とか相当貴重な記録でした。
勝負は決して結果だけじゃない、戦いの中には必ず隙間がある。
その隙間を覗きみる愉しさ。
そんな生き方が身についちゃっているのです。
でもね、この社会だってそう。みんな社会とプロレスをしている。
会社というリングに上がり、上司や同僚とタッグを組んで、お客さんを歓ばせる。時には、嫌なことがあればブーイングをし、タッグを解消するかもしれない。
一生前座の人間もいれば、輝かしいメインエベンターもいる。我々はそんな複雑な人間関係の中で揉まれながら、人生のゴールに向かい日々戦っている。
でもこれを「戦い」ととるか、「レスラーを演じている」ととるかで相当生き方は変わってくるし、ガチでガチを仕掛けるより、ガチを演じる方が、はるかに生き方に余裕が生まれるのです。
つまり俺は何が言いたいのかって言うと、
洗脳されたプオタはMUTEKIってこと!
ん?
俺も何言ってっかわかんなくなってきちゃったからこの辺にしとくけど、
これからも36人のブログ読者の皆さまのために、無駄な情報の不法投棄をドンドン続けて参る所存だから、よろしくおなしゃーす!
それでは最後に諸君、共にご発声を!
ジーク・ガナーーー!!!
ご清聴ありがとうございました。
コメント
こんな宗教みたいな糞ブログなんかみてたまる…
ジーク・ガナー!!!
あ?あれ?
僕にとっては子供と一緒です。
出来がいい方がいいに決まってるけど、出来ない時があっても捨てたり嫌いになったりはしないし、それが愛おしく思える時もある。ま、宗教っちゃ宗教ですね笑
スキラッチ提督…懐かしい…
アーセナルに栄光あれぇぇ!!
ジーク・ガナーーー!!!!!
ボスから替わっても好きなままなんですよね。チーム(アーセナル)ってなんなんですかね。
anncn
今日のブログは、ヘタしたら過去最高に面白かったかも!
猿さんの考え方めっちゃわかります!我々はガチを演じているのだ!