2009年4月15日で「ヒルズボロの悲劇」からちょうど20年を迎える。
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正直いうと、自分がこの事件を知ったのはイギリスに来てからだった。
もし海を渡らなければ、サッカー界の歴史を変えたであろう、イングランドフットボール史上最悪の事故を知る事はなかったかもしれない。
いや、もちろんどこかで知る機会はあっただろうが、シェフィールド出身の、しかもウェンズデーサポの方に生でこの話を聞けるという貴重な経験はなかったはずだ。
ヒルズボロの悲劇とは
1989年4月15日に起こったイングランドサッカー界最大の惨事。FAカップ準決勝、リバプール対ノッティングガム・フォレスト戦が行われた中立地のヒルズボロ・スタジアムにおいて、サポーターで溢れ帰ったスタンドの立ち見客が将棋倒しになり、97人が死亡、200人以上が負傷するという大事故。
この事故の背景には複合的な原因があるようだが、一番の直接的な原因は、ピッチとスタンドの間を遮る金網フェンスの存在があげられるだろう。横から後ろから次から次へと立ち見席へと入り込んでくるサポーター達の圧力により、観客達がフェンスに挟まれる形で逃げ場を失った。
ウェンズデーのスタジアムに限らず、元々イングランドのスタジアムにはフェンスがあった訳ではないようだ。しかし、60年代から年々増殖してきたピッチで暴れるフーリガン達を防ぐ手だてとして、このような金網のフェンスが採用されていた。
これに関しては誰も疑問を抱いていなかったというから、それほどフーリガンがゴミ的存在だった事の証明とも言えるが、暴挙を防ぐ手だてとして設置されたフェンスで、このような事故が起きてしまうというのはなんと皮肉な事か。
そして間接的な理由、それは、このウェンズデーのスタジアムが非常にローカルなスタジアムだったいうこと。日頃からゲートのセキュリティは比較的緩く、スタンドがキャパオーバーでも慣習的に中に人を入れていたらしい。しかしこれはFAカップ準決勝というビッグマッチ。スタジアムのキャパを大幅に越える人々で溢れかえり・・・というわけだ。
これに対し英国屈指のタブロイド紙「サン」は、「この事故の原因はリバプールサポーターにある」とし、紙面での大々的に批判を展開したが、これは間違いなくスタジアム側、警備を行う警察側の人災であり、管理ミスである(この報道をきっかけに、「サン」の不買運動が起きるなど、KOPの間では未だに最低最悪のゴシップ紙とされている)。
この惨事をきっかけに、イングランドだけでなく、欧州のほぼ全ての主要なスタジアムから立ち見席が消え、ゲートの改修が行われることになるのだが、それほど世界中のスタジアムのセキュリティを見直すきっかけとなる大事件だった。
そして現在のプレミアすべてのスタジアムが全席指定であり、基本立ち上がっての応援が禁止とされている理由がここにある。
スティーブン・ジェラードの従兄弟もこの事故により尊い命を失っている。
トッププレイヤーであるがゆえ移籍話のたえないジェラードだが、犠牲者の魂がアンフィールドにある限り彼が赤いユニフォームを脱ぐ事はないだろう。
それが選手である前に、KOPである彼の宿命なのだから。
You’ll never walk alone.
(君は一人じゃない。共に歩こう)
亡くなった方々のご冥福をお祈りするとともに、この素晴らしい環境でフットボールが観戦出来る事を、心より感謝します。
コメント
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