2021年9.26 エミレーツ・スタジアムにて、今季1回目のノース・ロンドン・ダービーが開催されます。
というわけで、今回はプレミア屈指と言われるエモーショナルな激アツマッチ、ノース・ロンドン・ダービーの歴史をやっていきます。
何故ここまで激アツなのか?両者の関係とは?禁断の移籍、何故スパーズは多方面の標的になっているのか?そしてわたくしさるが体感したノーロンダービーについてお話ししたいと思います。
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ロンドンのダービー
ロンドンには4つのダービーが存在します。
一つはアーセナルvチェルシーのビッグロンドンダービー。チェルシーやフラム、QPRなど、西ロンドン同士のウェストロンドンダービー。ウェストハムとミルウォールのデス(DEATH)・ダービー(俺造語)。
そしてこの北ロンドンの覇権を争うのがノース・ロンドン・ダービーです。
「近親憎悪」という言葉があるように、憎しみとは距離が近ければ近いほど増すものというのが定説ですが、それはフットボールとて同じ。
そんなライバル関係にある両クラブの激突、プレミア屈指のダービーとして有名です。
ハマーズとミルウォールのカップ戦限定のデス・ダービーは、リアルに死者が出てしまうくらいの激アツダービーですが、
公式戦で最高にヒートアップするのが、このアーセナルとトッテナムのノーロンダービーといって間違いありません。
ノースロンドンダービーの歴史
まずはその歴史から。
ノース・ロンドン・ダービーは100年以上の歴史があります。
1886年創設当時、アーセナルのホームは、南東ロンドンのテムズ川沿グリニッジの隣にあるウーリッジ・アーセナルにあり、この時点ではかなり離れた位置関係で、同じロンドンのクラブではありますが、ここまでのライバル関係はありませんでした。
しかし1913年、両者を運命付ける出来事が起こります。
それが、アーセナルの本拠地移転。
アーセナルは本拠地を、南東ロンドンのウーリッジから現在のホーム・北ロンドンのハイバリー地区に移転。これにより、スタジアムの距離がわずか4マイル、約6キロというライバル関係が勃発、同じ北ロンドンに二つのクラブが誕生します。
そして1919年、決定的な出来事が勃発します。
第一次世界大戦により1915年から約4年間閉鎖されていたフットボールリーグですが、大戦明け再開された1919年、リーグ戦の枠が20チームから2クラブ追加の22チームに拡大。
その際、14-15時点で1部最下位だったトッテナムは枠が増えたことで残留確定と思われていましたが、あっけなく降格ぬか喜び。
一方当時2部5位だったアーセナルが一部昇格という、トッテナムサイドにとっては実に都合の悪い入れ替えが行われたことにより、そこから一気に両者の対立はヒートアップ、これが決定的な対立軸となります。
そして2001年、ソル・キャンベル禁断の移籍がさらなる大炎上案件に。
当時トッテナムのキャプテンだったソル・キャンベルが、移籍金を一切残すことなくアーセナルへ移籍。ただでさえタブーに上塗りする不義理により当然キャンベルは裏切り者のレッテルを貼られ大バッシング。WHLでは大ブーイングを浴びることとなります。
またアーセナルが無敗優勝を遂げた03-04シーズン、優勝を決めた場所がこのトッテナムのホーム、ホワイトハートレーンということも遺恨を残しまくる結果に。
ちなみにこのホワイトハートレーンで優勝を決めた試合は、アーセナルが引き分け以上で優勝が確定していたのですが、アーセナルは前半2-0で圧倒。しかし後半レドナップの息子ジェイミー・レドナップが1点を返上。
さらに終了直前、不可解なPKでトッテナムが2-2まで持ち込み、このPKが終了した瞬間即笛が吹かれるという、明らかに場の雰囲気を察知した措置がとられました。
当然キャンベルは試合後ワイハーレーンで行われた優勝セレモニーに加わることなく、控え室に光速撤収しています。
そして今現在も歌い継がれているチャントがこちら
またこの時のエピソードで、この優勝の瞬間ホワイトハートレーンにいた知り合いに話を聞いたのですが、試合後はそらもうヤバかったと。
当然危ないので、時間差で外に出たらしいのですが、それでも待ち伏せしていた大量のスパーズサポにダッシュで追いかけられ、命からがら逃げていると、スタジアムの職員にVIPの入り口みたいなところに入れ入れ!と誘導され結局そこで数時間待機する羽目になったとのこと。
一方的にではありますが、それくらい犬猿、それがアーセナルとトッテナムの歴史です。
こんな激アツの舞台に、我らが冨安が降臨するわけっすから、そらもう観るしかないよね!
というわけで、
大注目のノーロンダービーは、日本時間9.27 0時30分KO!
禁断の移籍、何故スパーズは多方面の標的になっているのか?そしてわたくしさるが体感したノーロンダービーについては明日アップ!
コメント
選手名鑑、更新すんの?
キャンベルの移籍は、差別的な思惑から追い出そうとして(ついでに儲けようようとも)本人が正面から闘った結果。毎度お馴染、例のボートに残った3人。一人が食われるというのを若い有色人種に同意させたとかいう話を想起させる結末、にはならなかっただけの話。怒り狂う方がおかしいという事に英国が気付くのはいつか。。パーラーもアーセナルではなく白人である事を選んだのは残念だった。監督も元アーセナルだった事も。ベンゲルの闘いがどれだけ凄まじいものであったか解る。そしてベンゲル以前は切り離して考えるべきかも、と思わせるエピソードでもある。
ブラックライブズマター運動の本質は、差別を隠ぺいしようとする人間との戦いでもあるが、実際はまだそこまでに至っていない。